tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

「日本らしさ」を考えよう

2013年04月29日 16時23分54秒 | 社会
「日本らしさ」を考えよう
 アベノミクスで、行き過ぎた円高が急速に改善されたことは、日本にとても世界にとっても大変良かったと思います。これで日本経済の健康が回復すれば、改めて日本が、いろいろな面で世界に貢献できる可能性が大きくなるからです。

 そうした形で経済面の改善が進む一方で、中国、韓国との関係が主ですが、最近の日本の国際関係面で、徒にギクシャクが増えるような状況が見られることは大変残念です。
 「かつてアジア侵略に手を染めた日本が、その本性を改めて示し始めた」などという疑念や誤解を持たれないためにも、日本は「本来の日本らしさ」を取り戻さなければならないようにい思います。

 「本来の日本らしさ」と書きましたが、私自身日本人の原点と言われる縄文時代に生きていたわけではありませんから、多くの先哲の研究、種々の伝統文化、自分なりの感覚、日本の自然、人間関係、などなどから、まさに自分なりに考え、想い、納得する「日本らしさ」でしかありません。
 しかしその時代に生きていても、無意識でやっていたという面もあるでしょから、よく言われる「後世の歴史家が判断してくれる」方が、よく整理されているということもありうるかもしれません。

 そんな目で見ると、先ず、日本人は本来「争いが好きではなかった」と思われます。日本列島は地球上で最も多様なDNAが共存する地域 のようですが、人間だけではなく、自然との共存という意味でも、それは、国土の7割の森林面積の維持という面で見られるような気がします。山と海は友達(兄弟)、山(森林)が豊かになれば海(海産物)も豊かになるという理解は日本の縄文以来の伝統文化(知恵)です。

 また、縄文時代は戦争がなかったというのが考古学の研究者の意見の主流です。奴隷制もなかったと言われています。上のような多様性共存の状況証拠もそれを支持しているように思われます。
 その一方で、怨霊、祟りは広く信じられていたようです(梅原猛)。今でいえば、偶然に起こる自然現象を、恨みを持って亡くなった人の祟りと考えるのです。

 私なりに理解すれば、これは日本人が、伝統的に、「自分は何か他人に対して反省すべきことをしたのではないか」という謙虚な気持ちを強く持っていたことの表れだということではないでしょうか。
 以前、「加害者と被害者 」で書かせて頂きましたが、日本人には本来「加害者になりたくない」という気持ちが強かったような気がするのです。

 誰しも自分は大事ですが、知人、友人も、赤の他人も、袖すり合うも他生の縁で、自分と同じ人間であり、同じように生きている、人間だけではない、他の動物も植物も、生命を持つものとしては変わりがないという考え方です。だから、人間だけでなく、動物でも植物でも、更に無生物の針や筆に対してさえ『供養』をするのが日本人です

 こんな伝統から日本人の基本哲学(思想)である「和」が来ているように思われます。(以下次回)


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